【「神道見えないものの力」葉室 頼昭著を読んで!】
今年の冬は厳冬で、寒い日が毎日続いていますね。
今月は前月にご紹介した葉室氏の別のシリーズをご紹介します。
『子供の頃から、家の伝統という目に見えない存在を感じ、いつも不思議に思っていました。葉室の家は、平安時代から朝廷の神事、とくに神社と朝廷との間を取り持つ仕事を行ってきた公家の家でした。
神職ではないのに私の曾祖父は奈良の談山神社の宮司になり、祖父は生粋の陸軍の軍人であったのに、晩年には金刀比羅の宮司になり、父は銀行員だったのに、晩年には京都の下賀茂神社の宮司になりました。そして当時医者だった私は、まさか神職になるとは考えていなかったのに、なぜか奈良の春日大社の宮司に就任。この目に見えざる伝統という導きは、いったいどこから来るのか、いつも不思議に思っておりました。
戦後日本は、歴史と伝統を否定して全て物事を理屈で考え、しかも自己中心に考えて物事を判断したために、目に見えないものは信じない、科学で証明されないものは信じない、目に見えない神など信じないというようになった。この世の中は、目に見えない神の知恵によって導かれ、生かされているということを日本人は全く忘れてしまった。
― 塩のエネルギー ―
神道では、神さまを天つ神と国つ神の二つに分けています。われわれは天から太陽の光や酸素と言う神さまからのお恵みを受け、地からもいろいろな神さまのお恵みをいただいて、両方の神さまからの恩恵によって生かされているのです。
神社でお祭りをする時、必ず塩と水とお米がお供えされています。なぜかというと水と塩、これらは国つ神からのお恵み、エネルギーの根元であり、その中から生命が誕生。
太陽の光や空気という天つ神のエネルギーを得て出てきたのが、お米です。それを発酵させて出来たのがお酒、それら全てエネルギーの根元を集めてお供えしているのです。
塩というものは、地球のマグマから生まれたものだと言われています。地球内部のマグマが海の中に吹き出て、海水で冷やされて、マグマの成分が出てきたのが塩です。その塩水の中に38億年前、生物が誕生したのです。
― 清めの塩でお祓い ー
塩というのは国つ神の、ものを生かす力ですから、その力によって罪・穢が祓われる。
罪・穢というのは、清らかな体を包み隠すものや、尊い気を枯らすマイナスのエネルギーのようなもので、「我」を出した時の心の乱れ、精神力の衰えのことです。それが罪・穢と呼ばれるものであり、そこに塩を振りかけると国つ神のプラスのエネルギーが与えられ、マイナスの気の衰えが復活して、罪・穢が消えるというのが祓いの根本なのです。決して何か汚いものを取り除くという考えでなく、祓いというのはエネルギーの回復ということです。』